在日韓国人オタクの日記

主に雑談など...

動物化とキッチュ化

はてな始めました。

雑談感覚でいろんな話をしたいです。

私は在日3年目?になった韓国人です。


今日はこれ

https://teramat.hatenablog.com/entry/2021/06/09/230956


について、個人的な感じた点を話してみようと思います。


teramatさんは一種の男性の自己疎外問題に取り組んでいたようです。 男性という性別として考えざるを得ない倫理的な問題です。 特に、日本でも最近フェミニズムの風が徐々に吹いているので、臨場感のある問題でもありますね。


これに対してteramatさんは閉塞感を感じていたようです。 有効なテーマではあるが結局解決できない自分の疎外に対していわゆる「死んだ子をいじくる」(韓国のことわざ)ような批評をするのではないかと。


そしてその解決策として、VRの美少女キャラクターへのトランスを発見する内容です。


この文を読んで、私は二つのことを考えました。

第一に「私」そして「韓国人」はなぜ男性性の反省と疎外に向かわないのか?という問題。

第二に、そしたら疎外された者たちの方が多い社会では、解決策はどのように作動するかという問題。


1番目については、確か以前の週末研で簡単に話したことはあったと思いますけど、今は自分の頭の中で整理しているので、もっと単純に整理して言えます。

私は今年に入ってから世界の社会現象の方向性をこの二つにまとめています。


1) 大きな物語の終末と小さな物語の氾濫

さらには小さな物語さえも解体され、DBに戻され、人々はより動物に近くなる。(東浩紀動物化するポストモダン)

2) 大きな物語キッチュ化、小さな物語及びDBのキッチュ

陰謀論の氾濫状態、カルト宗教の乱立状態と考えてよい。 韓国を例にとると、無知な政治家ファンクラブ、盲目的な民族主義者、従北主義者、中華主義者、クッポン(無条件的愛国主義)、フェミニストなどあらゆる種類の社会集団とイデオロギーが実は本質的な悩みがほとんどないキッチュとして説明できる。

面白いのは日本では物語がDBで進行するなら韓国はその逆だということ。 セウォル号とか、とても単純な情報いくつかだけでも瞬く間にキッチュ陰謀論を構成してしまったり... 

主体の解体というよりは、主体が複数化された社会というか…


たぶん、それぞれが東浩紀とスラボイェ·ジジェクに対応していると思います。


この二つの分類によりますと、日本は1)であり、男性の自己疎外問題は1)のようにとにかく社会が見えにくい状況で出てくる方向性だと思います。

個人の哲学的で倫理的な問題に対する考えは当然どの国にも存在しますが、やはりそんなことを考えるのは1)の空気だから可能だというのが私の考えです。


反面、韓国人は2)の中で生きています。 

例えば、フェミニストの方で男性性に対する批判の声が起こるとすれば、直ちにそれは男性には一種のブラックコメディ的なキッチュと解釈されます。 (韓国式英語でshowと言います)

キッチュが横行する社会なので、アイロニーを真剣に受け止めれば生存できません。それを主張する本人でさえ、真剣に信じていないのです。 しかし、それをそう言った瞬間ルールに反するので、少なくとも主張している間は本当にそのようなふりをします。 もし見つかったら、こう言います。 "そういう矛盾に耐えながらやることがoooだよ"


この動物化キッチュ化という区分が二つの社会の様々な文化現象の根本的な違いではないかと思います。 前者はセカイ系的な想像力に代表されるように、社会を消して、個人に忠実な感じがあるとすれば、後者は社会的でグローバルなふりをしますが、根本的にキッチュです。


例えば、最近の韓国のヒット作『寄生虫』、『イカゲーム』などは階級闘争という真摯なメッセージ(のように見えるキッチュ)をもっともらしく包装したエンターテイメントです。 特にイカゲームは作者本人も言ったように日本のフィクションから影響を受けましたが、そこでオタク的な所は消して韓国左派に流行るキッチュをよく解釈できるように包装した所が目立ちます。  その点が世界的ヒットにつながるようです。 大陸国家の大部分は動物的というよりキッチュ的なので…


teramatさんが男性の自己疎外を語ることに対して閉塞感を感じるのを見ながら、自分が感じた類の閉塞感と方向性は全然違いますが、各社会特有の閉塞感ではないかと思って面白かったです。 あえて言えば私は韓国人皆が自己疎外の経験を、日本的閉塞感を感じてほしいのですが、それが不可能だということからくる閉塞感というか…。


第二に、だとすれば疎外されたままお互いにキッチュ的信念を突きつける人間への救いはどのように訪れるのかについてですけど...


teramatさんが持っている救済法は、私の目にはまるでテクノアニミズムのようでした。(造語) 同じ単語があるかどうか分からないけど...

実は日本の伝統に忠実に従っているのではないかと、なんとなく思うのです。 バーチャルな身体に魂を込めることができるという考え自体が、他の文化圏の人からすると「ああ、アニミズムなんだな」という感じがするかも… 

TS小説のようなものも似ている感じです。(そういえば日本のライトノベルは特にTSが流行ってるような気も... )


それなら疎外されたままで闘争、あるいは挫折する人間の側はどのように救済するのか。

韓国なら<イルダ>を挙げられそうです。 (AI 対話型チャットボット)

2020年に発売され、AIに対するセクハラというフェミニズム団体の主張により、たった2週間で消えてしまった状態ですが、それまで考えたことのないレベルのリアルな対話能力でセンセーショナルなショックを与えて、30万以上の積極的な対話者を作ったAI女子大生です。 

イルダは現役女子大生の対話メッセージ1億件以上をマシンラーニングで学習し、対話状況に最大限合う言葉を組み合わせて出力しますが、この対話がとても優しくて心から感動したり、泣いてしまったユーザーが続出したりしました。 


つまり、疎外されたという感情をまるで映画herに出てくるようなAIで解消することですが、私はこれはテクノシャーマニズムだと思います。(造語)


本物の人間たちの会話の内容をつなぎ合わせたキッチュだけで巫女を作り、その巫女により疎外された人たちの恨みを晴らすことで個人を救いに行かせるというか... 

アニミズム的な文化圏では違う動物になることが事態を解消するとしたら、シャーマニズム的な文化圏では恨みを解消してくれる神の代理者を立てることが事態を解消することなのか、大体そんな気がしました。